あとがき(『宮本百合子選集』第六巻)

宮本百合子

あとがき(『宮本百合子選集』第六巻)書籍情報

底本:「宮本百合子全集 第十八巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年5月30日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第2版第1刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
   1953(昭和28)年1月発行
初出:「宮本百合子選集 第六巻」安芸書房
   1948(昭和23)年12月発行
入力:柴田卓治
校正:磐余彦

あとがき(『宮本百合子選集』第六巻) 5

宮本百合子

 その時代に「伸子」の作者は、所謂文壇からもはなれていたし、新感覚派からも遠く、無産階級文学運動については、作品をよんでいるだけで、理論的な問題は何ひとつ理解していなかった。足かけ三年作者はひたすら「伸子」に没頭した。人間らしい生活の多様さや発展、生きている甲斐が感じられるような人生をもとめて結婚した一人の若い女が、あいてと自分との結婚生活の現実に見出したものは、無目的で、エゴイスティックな理想のない日々の平安への希望だけであった。流れ動き生成する男女の結合こそ愛とよばれるべきものだと信じている一人の生活的な女にとって、当時の日本の通念であった家庭の平和の観念や、夫婦愛家庭愛における女の無主張の立場は恐怖を与えた。結婚にからむ親たちとの相剋も非条理に思えた。二十歳の女の人生をその習慣や偏見のために封鎖しがちな中流的環境から脱出するつもりで行った結婚から、伸子は再度の脱出をしなければならなかった。世間のしきたりから云えば十分にわがままに暮しているはずの伸子がなぜその上そのように身もだえし、泣き、そこは自分の生きられるところでないと苦しむのか、ほとんど諒解に苦しんでいるあいてを伸子として避けられない容赦なさで傷けながら、その人をそのように苦しめているという意識で自分もますます逆上しながら。――